その52  大峰かおり秘話 08.8.22
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 「大峰かおり」とは新発田市加治川地域に昔から栽培されてきた枝豆。
 ルーツは分かりませんが、晩生であり香り良く美味しい枝豆として、地域の農家の畑の片隅に栽培されて来たのです。美味しいのですが収穫が遅い、栽培が難しい、虫害がひどいなどの理由から、多く栽培する農家は無く、いわば自家用として細々と作られてきた幻の枝豆と言っていいでしょう。


 
この大峰かおりを世に出そうとした人々は以前からいました。
 その一人S氏はJAの蔬菜園芸部長や当時の加治川村議会議員などをしていた人。この美味しい枝豆を世に出そうと試行錯誤した一人です。まだこの枝豆に名前が無い頃でしたので、当時の加治川村長T氏に相談したところ、香りが抜群に良い枝豆なので、地域にある山「大峰山」にちなんで「大峰かおり」と名付けたと聞いております。名前も決まり、さあこれからという時、S氏は病に倒れ帰らぬ人となってしまいました。当時の村長T氏はこの話を今でも昨日の事のように話してくれます。
 私が大峰かおりに始めて出会ったのは友人の田んぼに稲刈りに行った時。
 枝豆を出され、美味しいのでこれは何んといういう枝豆?と聞いたのが初めでした。香りよく、いくらでも食べられる枝豆にパクついた記憶があります。
 作ってみては?の誘いに翌春種を頂き、畑の片隅に植えたのですが、やはり素人栽培、背丈だけが大きくなり実が付かず、まして虫害がひどく、いくらも収穫できませんでした。

  大峰かおりを語る上で、前述のとおりS氏やT氏を忘れてはならないのですが、県職員で新発田農業普及指導センター(当時)のO氏も大切な一人です。私が越後姫(いちご)栽培を始めてまもない時で、普及指導センターの指導を受けていた頃です。普及員に「美味しい枝豆があるが栽培が難しい、栽培マニュアルを作れないか?」との問いに、「同じ普及員で枝豆の先生がいる、一度会っては?」ということになったのです。
 後日我家へ訪ねて来てくれ、大峰かおりの概略と少しの種を手渡したのがO氏との出会いでした。
 それから2年間、何の音沙汰もなく、私も種を渡したことを忘れていた時でした。O氏から連絡があり、栽培の方法はだいたい分かった。香りよく美味しい枝豆である。これを埋もれさせておくにはもったいない。という話になったのです。
 O氏は2年間、様々な条件で試験栽培を行い、播種時期、肥培管理、防除の時期などを調べてくれていたのでした。
 O氏は「大峰かおりを世に出すには、まず試食会をやりましょう。」という提案をしてくれたのです。早速、市に相談したところ市も新たな特産品を探していたところで、渡りに船だったのではないでしょうか。食に関する人を集め試食会を行う運びとなったのです。
 結果は思ったとおり、香り味とも抜群であるとの評価を頂いたのは言うに及びません。

 言いだしっぺの私は、翌年約10aの大峰かおりを栽培することになったのですが、鳩害と冠水により事実上の失敗、再起をかけ今年も取り組んでいます。

 このように多くの人々が関わってきた大峰かおり。道半ばで他界した先輩の思いや、名付け親、栽培マニュアルを作った普及員、PRしてくれる新発田市。などなど様々な人の思いを秘めて、ようやく世に出ることになったのです。


 
これからの課題は、栽培面積の拡大と知名度のアップ、そして新発田市発の美味しい枝豆として特産化していくことではないでしょうか。

 新発田市に大峰かおりという美味しい枝豆がある、と言われる日を夢見て。