その37  初詣  07.1.1
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 正月元旦の朝に初詣に行くのは、どこでも同じことでしょう。
しかし都会と違うのは、大きな神社の人混みの中を詣でるのではなく、
集落の鎮守を静かに、そして厳かに詣でることができるのです。

 たまに集落の人と会うことがありますが、まずめったに会わないのです。
お参りに来た痕跡はありますが、人と出会うことはありません。
静かに、心を休めて今年の安全と豊作を願うことができます。
どちらが良いかは別問題ですが、静かに神と対話できるのは
田舎の方でしょう。

 しかし田舎では至る所に神が祭られており、初詣でお参りするのは、
当方では八箇所に及びます。
これだけの神に詣でるのは、やはり時間がかかりますね。
良いことは歩いてすぐそばにあることです。
 日本人ほど、年が変わることに感慨がある人種はないでしょう。
年があらたまるということは、全てがリセットされる、という考えのようです。
ですから、その年の内に片付けておかなければならない、
という考えがはたらくと思います。
仕事にしても、ゴミにしても、借金にしても、その年のものはその年で片付ける。
という考えがあるため、師走は忙しいのですね。

 そして新しい年になれば全てが新しい、一から始まる、新しいのはめでたい、
という考えかと思います。昔は歳をとるのも正月でしたね、
誕生日などは関係なかったのです。

 この考えは合理的であり、また一から出直す、あらたまるということで、
私個人としては好きです。たぶん農耕民族の習慣なのでしょう?

 しかし若者はそうは思わないようです。日付が変わるだけ、
正月は休みがあるから良い、なにがめでたいのだろう?と思ってる若者が増えました。

 私も元旦の朝、女房と孫で集落の鎮守に初詣に行ってきました。
幸い天気も良く、ピリッと張りつめた空気の中で神と対話し、
そして今年の安全と豊作をお願いしてきたのです。

 田舎ならではの静かな初詣です。