百姓議員奮戦記 ホームへ戻る
百姓でありながら市議会議員になった、そうえんの奮戦記


その16
低調な投票率
平成18年11月19日
選挙結果は現職の圧勝でしたが、残念ながら投票率は過去最低の38.57%でした。
争点がボケていたのが原因でしょうか? 選挙に無関心はよくありませんね。
開票結果 片山吉忠 21,706票     小柳 肇 10,466票

その15
新発田市長選挙始まる
平成18年11月12日
新発田市の市長選挙が始まりました。

合併で10万人を越える市になってから、初めての市長選挙です。現職対新人の一騎打ちになりました。
これからの4年間の市政の舵取り役を決める大切な選挙です。

合併での約束事を着実に実行してもらうには、合併を成し遂げた現職に、もう一期市長をしていただくのが
常道でしょう。   大勝を望みます。

その14
有機資源センター完成


念願であった有機資源センターが今夏完成し、見学会が開催されました。
新発田市の重点施策である「食と農の資源循環型社会づくり」の基本となる施設であり、合計3箇所が一斉稼動します。

食料供給基地を目指す当市としては無くてはならない施設であり、美味しく安心して食べられる農産物を生産するための核となる施設になります。
いよいよ新発田市の食料戦略がスタートします。  関連記事


その13
合併後初の行政視察


合併後初の会派行政視察が行われました、視察場所は北海道、当麻町とニセコ町です。
当麻町では衛星画像を利用した農地のリモートセンシング技術、ニセコ町では綺羅街道街立案から完成までの経緯、成果と課題です。
どちらの町も先進的な考えで取り組んでおり、これからの我が街づくりに大いに役立つ視察となりました。
視察しただけでなく、生かして行くのが議員の仕事です。



加治川村は平成17年5月1日に新発田市へ編入合併いたしました。
村が誕生してから50年、平成の大合併により加治川村は無くなりましたが、加治川気質は無くなりません、また50年の歴史は永遠に語り継がれるでしょう。

その12
村生誕50年 閉村記念式典


3月22日、市町村合併にともなう我が村の閉村式が行われました。
5月1日、加治川村は新発田市へ編入合併するため、村を閉じる式典が行われたのです。ちょうど加治川村が誕生して50年という節目の年に隣の新発田市へ編入合併します。

式典そして祝賀会と参加しましたが、やはり一抹の寂しさは禁じ得ません。全国的に合併が進む中、我が村も例外ではなく、約7,500人の小さな村が、10万人を越える中核都市の一部へと生まれ変わる日もまじかです。

その11  3月定例議会


加治川村最後の定例議会が行われました。
5月1日に新発田市へ編入合併するため、定例議会はこの3月議会が最後になります。今回は傍聴者が多く、席が足らないため議席のすぐ後ろにまで椅子を並べ対応しました。
一般質問する議員も5名と多く、また白熱した質問が続き、最後の定例会にふさわしい内容だったと思います。
当然私も質問し、いつものように1番目です。「村長4年間の総括について」という質問をさせていただきました。
いよいよこれで加治川村も終わるのか、という感慨でいっぱいです。

その10 12月定例議会


12月定例議会は5日〜6日、初日は住民の皆さんが多く傍聴にきていただけるよう、日曜日に開催されました。
一般質問も当然初日に行われ、質問順序は通告順(申込み順)で、私が一番でした。
質問内容は圃場整備の受益者負担(農家の負担金)について、中越地震を踏まえ櫛形山脈断層帯について、
の二点です。大勢の傍聴者の前での質問は気合がかかります。どちらの質問もタイムリーな事項だと
思っているのですが?
質問、答弁をまとめ「議会だより」に載せる仕事が残っています。この画像は役場広報よりお借りしたものです。

その9 常任委員会現地踏査




水路の視察 圃場基盤整備の暗渠整備
11月8日から10日までの3日間、三常任委員会合同の現地踏査が行われました。
これは、合併を前にして村内の整備済みの箇所、整備しなければならない箇所、
運営方法を検討しなければならない箇所などを視察踏査するものです。
全員スーツでなく防災服姿での視察踏査です、全議員かなり気合が入ってることがお分かりと思います。
議員が防災服姿でゾロゾロ歩く姿は、地震直後でもあり何事かと思われたでしょう。
議員になって初めて見る箇所もあり、まだまだ社会資本の整備が必要な箇所が多くあるのが実感です。
合併後の新市による「まちつくり計画」に搭載されてる事業はもちろん、まだまだ整備されなければならない
箇所が多くあります。

その8 敬老会


9月20日の敬老の日に、当村主催の敬老会に来賓として参加しました。
議員はこのような行事には、必ず案内が来るのです。

びっくりしたのは敬老会該当者数1,397人(男541人、女856人)
我が村の人口は約7,800人、ということは18%の方々が70歳以上
ということになります。この数字はまだまだ増えるのが確実なのです。

急速に少子高齢化が進んでおり、高齢化社会に入ってることを実感した
のです。
うらはらに、結婚適齢期の若者が結婚しない、できない。
結婚しても子供をつくらない、つくっても一人。

このような現実を直視しなければなりません。

その7
議会 一般質問


定例議会という議会が年4回あります、3月、6月、9月、12月です。
ほかに臨時議会が召集される場合があります。

定例議会では、議員が首長に対して質問する機会が与えられます、それを一般質問と言います。
この一般質問は、いわば議員の花、首長と対等に討論できる唯一の場であるのです。
私は、6月に続き9月の定例議会でも一般質問させていただきました。
質問内容は「新潟県央を襲った、通称7.13水害をふまえ、我が村の危機管理体制について」です。

新人は演壇に立ち質問するのは、やはり上がるのです。しかし議員は、一般質問できて初めて議員なのです。
この画像は役場広報よりお借りしたものです。

その6 村政報告会


私の公約でもあった村政報告会を7月25日に行いました。
夏の暑い夜でしたが、大勢の地域の皆さんに参加していただき
盛会に行うことが出来ました。
内容は、議員になって4ヶ月間の議会報告、特に定例議会の内容、
合併の動き、建設予定の堆肥センターについてなど。
その後、質疑応答陳情を聞き閉会、引き続き懇親会。

やはり議員は常に地域に目を向け、地域の人々と対話することが
大切であることを実感しました。
これからも定期的に開催予定です。

その5 行政視察


7月21日〜22日、岩手県紫波町へ堆肥センターの視察に出かけてきました。
当村が計画している堆肥センターとほぼ同型のプラントが、すでに稼動してるため
その稼動状況、問題点、運営方法などの調査のための視察です。
建屋外部に臭いがもれておらず、素晴らしい施設で、これなら大丈夫と感じた施設です。
完成した堆肥の山 土着菌の培養

その4 合併協定調印式


7月19日、新発田市月岡温泉の某ホテルで、新発田市、紫雲寺町、加治川村の
合併協定調印式が行われました。
これまで任意協議会そして法定協議会と経て、調印式のはこびとなりました。
いよいよ来年5月1日をもって紫雲寺町、加治川村は新発田市へ編入合併です。
ここまでくればもう後戻りは出来ません、合併に向けてまっしぐらです。
この二度とないイベントに立ち会えたのも、議員になったおかげでしょう。

その3 町村対抗議員ソフトボール大会


  議員になってソフトボールをさせられるとは、思いもよりませんでした。
  近隣の町村対抗でソフトボール大会があります。
  下っ腹の出た議員さん達が夢中になってボールを追います。
  この大会も、合併が進み今年が最後になります。

その2 初めての仕事
 議員は三常任委員会の一つに入らなければなりません。
 三常任委員会とは、総務文教常任委員会、社会建設常任委員会、産業経済常任委員会です。ほかに議会運営委員会、広報対策特別委員会、合併法定協議会があります。
 約して、総文、社建、産経、議運、広報、合併と言っています。
 難しい用語が多くありますが、これは議会用語です、まずこの議会用語を覚えることが最初の勉強になりました。
 
 ところで、私が入った委員会は産業経済常任委員会と、広報対策特別委員会です。産経は村の産業と経済について調査する委員会です。広報は議会がある度に発行する広報誌「議会だより」を編集発行することが仕事になります。
 議員になったとたんに、この広報誌を作る仕事に携わることになりました。各議員に原稿依頼、取材、写真撮影、割付け、校正と発行するまで4〜5回の会議が必要となります。
 この広報誌の表紙写真は、私が小中学校の入学式に出席した時に撮影したものです。
 
広報45号をスキャンしたものです

その1 いよいよ議員


臨時議会後の記念写真
当選決まる
 3月28日に行われた加治川村議会議員選挙において当選をはたし、3月30日より晴れて村議会議員になりました。 定員16名の内、18名が立候補、
7番目の成績です。
 農業と議員、二足のわらじを履くことになりますが
村のため、地域のために働かせていただく所存です。
 新人議員は何も分からないのです、全てが新鮮で
一からの勉強です。全て正面から向かって行かなければなりません。楽しみなような、不安なような、複雑な心境なのです。
議会広報誌「かじかわ議会だより」より